下関TV-下関文化人特集 安富静夫先生

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下関市市史編修委員:
安冨 静夫

明治維新発祥の地は下関・関門海峡です。
関門海峡を舞台に活躍したのが高杉晋作。
下関市吉田町の、高杉晋作の墓(国史跡)と、遺品を保存・展示する東行記念館などを紹介しましょう。


安富静夫:東行庵で吉岡一生撮影


維新の英傑・高杉晋作

高杉晋作は、1829年に萩で生まれ、吉田松陰の門下として松下村塾で学びました。

彼は、有志の士を募った奇兵隊の結成をはじめ、イギリス・フランス・オランダ・アメリカ四カ国連合艦隊との和平交渉で下関市彦島の租借要求を拒否し、300万ドルの賠償金を幕府に払わせることにしたほか、長府功山寺で長州藩の藩論を統一するために挙兵。日本で最初の招魂場を創設し、さらに小倉戦争で幕府軍に勝利するなど、幕府の威信を失墜させています。これらは、明治維新実現への胎動で、高杉晋作を維新の英傑と語らせる偉業です。

彼は、亡くなる前、
面白きこともなき世を面白く(東行)
住みなすものは心なりけり(望東尼)

と詠み、27歳8ヶ月の若さで病に倒れました。


高杉晋作の墓所

高杉晋作は、遺言によって下関市吉田町・東行庵清水山に眠っています。墓標には、彼の号から「東行墓」とのみ刻まれています。
墓地には、伊藤博文撰文の「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し・・・」と刻まれた、大きな顕彰碑があり、彼の生涯をよく物語っています。


遺品を展示する東行記念館

高杉晋作は若くして亡くなったことから、両親は遺品を大切に保存し、1966年、東行記念館の開設に際し全てを寄贈。全国一の、高杉晋作に関する遺品の保存・展示施設となっています。
主な展示品では、高杉晋作の写真、奇兵隊の指針「論示」や小倉戦争指図書・道中三味線・『回復私議』など多数あります。

高杉晋作墓


3人の庵主が法灯を継ぐ

高杉晋作が亡くなったとき、愛人の「おうの」は、25歳でした。彼女は、「わしの墓守をすれば、みんなはおまえを、そまつにはしないだろう」と、高杉晋作が言った言葉を信じ、得度し尼僧となって、以後42年間、墓守をしました。東行庵初代庵主梅処尼です。2代目庵主は、梅仙尼で、3代目を立派に育てたのが功績です。3代目は玉仙尼で、中興の祖といわれるほど、事業を展開した人です。

高杉晋作100年祭に際し、東行記念館を開設し、周辺を公園化。奇兵隊士や諸隊士の墓を全国から迎え、その数は、140余基にもなっています。
また、下関の春の風物詩ともなって、全国から2万人もの参加者を迎える「維新海峡ウォーク」を創設など、地域の活性化にも功績を残しています。
現在の東行庵は、玉仙尼によって整備されたといっても過言ではありません。


下関市市史編修委員
安冨静夫

東行庵

住所
下関市吉田町1184
電話
083-284-0211
FAX
083-284-0211

東行庵の年間イベント

4月14日 東行忌
11月第二土曜日 奇兵隊および諸隊士慰霊祭

Profile

昭和15年
10月12日生(68歳)
北九州大学卒業
昭和34年
下関市役所(平成13年退職)
平成13年
下関市市史編修室
梅光学院大学非常勤講師
昭和53年から「東行庵だより」を編修など東行庵と関わる

東行庵中興三世谷玉仙大和尚銅像建立へ協賛金のお願い

今年は、東行庵中興の祖と称えられた谷玉仙尼も、遷化されて20年。親しくしていただき、尊い教えと導きを賜った人々も、少なくなりつつあります。
そこで、谷玉仙尼が心血を注がれ、高杉東行先生の100年祭を機し、東行記念館の開館をはじめ周辺の公園修築、奇兵隊及び諸隊士の墓地開設のほか、維新海峡ウォークの創設、また、若き時代には吉田みどり保育園の開園など、数々の偉業を遺され、今日の東行庵へと発展させられた業績を、是非とも顕彰いたしたく、下記のとおり銅像の建立を発起いたしました。
つきましては、誠に恐縮ではございますが、1口3,000円(多数口感謝)の協賛金を賜りたくお願い申し上げます。

実行委員会 顧問:松野 實應 (宗教法人東行庵兼務住職)
実行委員会 委員長 古川 薫 (直木賞作家) 

銅像建立予定年月日 平成21年10月1日(場所:東行池の中央)
協賛金募集期間 ~平成21年8月末まで
彫刻家:田村 務(梅光学院大学教授)

※協賛金の納入は(1)(2)いずれかの方法でお願いいたします。
(1)振込用紙で振り込まれる方は、東行庵へご連絡下さい・
(2)現金での方は、東行庵の受付でお願いします。
※領収書の必要な企業・個人の方は、東行庵(電話:083-284-0211)へご連絡下さい。